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吉野ヶ里歴史公園 |
国内最大規模の環濠集落として注目を集めている吉野ヶ里歴史公園。 『吉野ヶ里遺跡』が発見されたのは1986年、工業団地建設による土壌調査の時。竪穴式住居跡・物見櫓跡やカメ棺などが発見されました。 現在『吉野ヶ里歴史公園』として、当時の様子がわかりやすく、建物も復元され、多くの観光客が訪れています。 |
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入口にはキャラクター「ひみか」が出迎えています。 さい&ケトルは平成18年6月14日に訪問しました。 かわいいし日付も掲載されているので来場者が記念撮影をしていました。 |
集落入口など重要なところには逆茂木(さかもぎ)と呼ばれる、今でいうバリケードがとがった木の枝や幹で築かれ、厳重に守られていたそうです。 米作りが盛んになると、水や土地を奪い合う争いが起こるようになったため、このように守っていたそうです。 ちなみにここは入場ゲートから最初の逆茂木です。 |
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南内郭にある竪穴式住居。6〜8人の家族が生活をしていたともいわれています。右上写真のすだれのようなものは、かまどの上にあったのですが、焚き物の煙で魚をいぶして保存していたのでしょうか?? 入口は低く、50センチくらい掘り下げてあり、カヤ葺き屋根なので夏涼しく冬温かそうな雰囲気でした。 ※もちろん下2枚に写っているような電気は当時なかったでしょう… |
吉野ヶ里の2つの中心区域はそれぞれ南内郭・北内郭と呼ばれ、こちらは南内郭。Vの字の壕で厳重に囲まれ、中は物見櫓もあります。特別の空間であった事から、吉野ヶ里の指導者の生活の場であったと想像されます。 写真は物見櫓からの景色。このように平坦地の中にある小高い丘に吉野ヶ里が位置するので見晴らしがよく、万一敵が攻めてきても早期発見が出来そうです。 |
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こちらは北内郭。左上写真の建物は『主祭殿』といい、吉野ヶ里のまつりごとをつかさどる最重要施設です。ここでは2階で重要なことを話し合ったり(左下写真)3階で最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式が行われていた(右下写真)そうです。 「稲が実り始めた時に一旦集まって出来具合をみんなで見て、いつ稲刈りをするかを占う」ような映像が流れていました。半分しか見ていないので合っているかわかりません…m(__)m |
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